2015年7月12日 ピンクシャツデー世田谷からピンクシャツデーフィリピンへ


いつごろからかは定かではありませんが、天野が個人的に知っているフィリピンの方へピンクシャツデーのことを知らせました。

その方の名前はJerezaH.HILISさんです。

JEREZAは自宅を開放して孤児たちや貧しい子供たちに食べ物を与えたり、聖書を教えたりしています。

そこでまずピンクシャツデーのことを子供たちに伝えました。それが6月28日のことです。

これはまだ別の家でのクリスチャンの集会です。JEREZAの自宅の屋根が台風で飛んでしまったのです。

 そしてその後もメールやskypでやり取りをして行きました。

そして7月1日(水)最初のミーティングが開かれました。

お金のある人たちではありません。ですから派手なパフォーマンスとかはありません。プロのカメラマンがいるわけでもありません。でもこの手作り感が実にエネルギーを感じさせます。そしてみんなの笑顔です。

やがてJEREZAがフィリピンのピンクシャツデーのTシャツをデザインしてくれました。本職はデザイナーさんなのです。

"STOP BULLYING! LET'S START TO LOVE ONE ANOTHER"

フィリピンらしい言葉ではないでしょうか。でも互いに愛し合うということは許しあうことでもあります。羽はその思いが広がっていくことを願っているのです。

 

7月12日

数日前にJEREZAから子供たちへのビデオメッセージを頼まれました。大慌てで作成したのが次のビデオです。もうすっかり英語もタガログ語も発音がおぼつきません。お聞き苦しい点お許しください。何度も書きますが、8年前母の介護で2年療休して仕事をやめたくらいですから。


父親が戦前日比学生会議、日米学生会議に出席していたこと。

フィリピンと天野家は長い関係があること。

教師時代、バターン半島にJEREZAのお姉さんが連れて行ってくれて、そこで「死の行進」の写真や「COMFORTWOMAN」の部屋など見た時、思わず私は"i'msorry”と話したら、彼女は怪訝な顔をされ"Why You say sorry.This is the history”(何故御免なさいと言うのですか、これは過ぎたことですよ)

と言われてさらに私が感動したことなど,,,etc

*ビデオ中私はまちがえてthe past と話してますが。

そしてその様子を写真にして送ってくれました。


台風で屋根や壁が壊れてしまっています。お金がある人たちではありません、でも貧しい子たちのためになればと活動しているのです。

私もこの家に何度も宿泊しています。

個人的な話ですが、1980年代終わりごろから、「アジア学」が日本の普通の本屋でも並ぶようになってきました。私は授業にそれを教材として組立実践していました。数少ない挑戦だったことでしょう。


宣伝と勘違いされるのは嫌なので、一応昔から国際関係、アジア関係に取り組んでいたことを書いて置きます。

残念なことですが、いじめ反対運動している人の中には揚げ足を取る人もいますから。

それでもカイビガンの国

 勤務先のPTAの会報に載せてもらいました。2000年9月8日

国際理解ーアジアと日本ーフィリピンを中心として

1998年教育研究所への個人論文から


教科のページアジア学


当時不登校のために自主的に教材を開放していました。そして悩み掲示板に書き込んでくれたのが中園直樹さんでした。

このページの一番下にある写真が当時まだ子供だったころのJEREZAさんです。今は結婚して子供もいます。


ピンクシャツデーフィリピンは、実に精力的です。お金は無くともハートがあります、愛があります、それが本来の「いじめ反対運動」の姿だと思います。

ともすればいじめ反対運動は、憎しみや批判、あるいは見かけの派手さだけの運動に終始しがちです。そうではなく、「愛しあおう」というスローガンをここは掲げているのです。

子供たちは60人近い孤児たちです。私も学ぶことが多いです。


個人的なつながりから、ひょんなことから日本でなくフィリピンにまでPSDを広めるきっかけを作ることができ大変感謝しています。

フィリピンの人の情熱をまた感じます。

文責・・天野


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